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図書館シリーズより


手塚は携帯電話のディスプレイを睨んでいた。時間が経ってスタンバイ状態になっては戻し、なっては戻し、それを繰り返す。ディスプレイには、090で始まるとある番号が浮かんでいる。
すっと息を吐き、通話ボタンを押した。
「俺」
「ああ、珍しいな。お前から電話なんて」
「…何した?」
兄は、弟の唐突な質問にどことなく嬉しそうな声で「うん?」と答えた。
「何の話?」
「笠原だよ。何言ったんだよ、手紙で」
「何って、別に何も」
「何もってことないだろ!」
つい怒鳴ってしまって、慌てて声を落とした。寮のロビー脇、門限に近いこの時間であれば目立たない場所ではあるが、誰に聞かれるとも限らない。
「あいつ、もの凄い大泣きして出てきたんだぞ、今日」
「──…へえ、そう」
柴崎にも聞いてみたのだが、「あたしにも喋らないのよあのバカ」と吐き捨てた。彼女にさえうち明けていない、ということは本当に喋らない気なのだ笠原は。
「彼女は何て言ってた?」
「…仕事には支障ないって」
「なら、お前には関係ないことだな」
兄の声の温度が、すっと下がった。
「彼女が言わないことを、俺が喋るわけにはいかない」
手塚は、ちっと軽く舌打ちした。こうなれば、兄は絶対喋らない。言いたいことを言っておくしかない。効果のほどはともかく。
「…もう手出すなよ」
「ふん? やけに気にしてるじゃないか」
「御しやすく見えても、あいつ、一番厄介なタイプだよ。特に兄貴には」
電話口で、兄が少し黙り込んだ。ややあって、「そうかもな」と答えた兄の声は苦り切っていて、手塚は意外に思った。勢い込んで続ける。
「あいつには強力な味方もいるし」
「知ってるよ。じゃあな」
兄は唐突に電話を切った。電話をかける方が弟だったことも珍しければ、切る方が兄であることもまた珍しかった。



「手塚」
ぱたりと携帯電話を閉じたとき、背後から声がかかった。ぎょっとして振り向くと、堂上である。寮に戻ってきたところらしい。残業でもあったのだろうか。
「…すまん、耳に入った」
いいえ、と手塚は笑った。寧ろ他の人間に聞かれるよりも、事情をおおよそ知っている分、気が楽だ。
堂上は、答えたくないなら答えなくて良いと前置きした上で、
「今のは、手塚慧か?」
微妙な表情だったのは、部下の私的な電話のことを聞くのが躊躇われたからだろう。だが別に、堂上に隠すような内容を聞き出せたわけでもない。
そうです、と手塚は頷いた。
「笠原のことか」
「はい」手塚は肩を竦めてみせた。
「気になって聞いてみたんですけど、何も聞き出せませんでした」
「まあ、そうだろうな。あいつなら」
「本人は何もしてないって言うけど、どうだか。普通まずそう言いますしね」
「…お前の兄は「普通』の範疇なのか」
「……否定する材料はありませんが」
二人は同時に苦笑いを漏らした。堂上が促したので、手塚も一緒に部屋に引き上げるため階段を上った。歩きながら、小声で会話を続ける。
「笠原に手を出すなと、一応釘は指しましたけど──たぶん同じ手は使わないとは思います。弟の意見としては」
「同意見だ」
堂上は、にやっと笑って手塚の肩をぽんと叩いた。
「今度連絡がきたら伝えておいてくれ。二度目は容赦しない、とな」
「……了解」

あれは本気だなあ。手塚は自室へ引き上げていく男の背中を、思わず敬礼して見送った。



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…てなことが笠原の知らないところで起こっているといい。
by generalx | 2007-04-16 22:08 | 言の葉 | Comments(0)